「いい加減」は「良い塩梅」

さて、脳の外的刺激について五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)があると言ったけど、もう一つ、錯覚というのも加えていいんじゃないかという話。

錯覚とは、まあ、辞書にある通りである。本来あるものとは違った知覚をすること、とある。
さっ‐かく〔サク‐〕【錯覚】 の意味
出典:デジタル大辞泉
[名](スル)
1 《2から転じて》思い違い。勘違い。「―を起こす」「―に陥る」「愛されていると―する」
2 心理学で、刺激または対象の客観的事実を違ったものに知覚すること。→幻覚
目や耳には正しい情報が届いていても、何かが誤作動して、脳が別のものとして知覚する。これこそ、脳の脳たる所以であるといえよう。「何かが誤作動」というのは、そのとき、その場所で、その人が、見たのか聞いたのか、でも変わるだろうし、なので偶然の産物であるが、ときにピカソのようなクリエイティブを生む。そう、脳はいい意味でいい加減である。
もう一つ、記憶であるが、これもどこまで本当か、本当に心もとない。
現実に起きたことか、夢だったのか、昨日のことか、3年前のことか、誰がいつまでも克明に覚えていられようか。

よく、事件の目撃者に聞き込みをする刑事の様子を描いた話があるが、記憶力に自信のない私からすると、証言をするシーンとか「ホンマかいな」と思ってしまうのである。「何色の服を着ていたか?」とか、もし親しい仲で、服の話でもしていれば別だが、例えば会社の同僚の服など、「スカートだっけ?」ぐらいの記憶である。

というわけで、外的刺激も記憶も、大概いい加減なものであることがわかる(どこかで、科学的に証明されていないか探してみたいものである)。このいい加減なものに、しかし人は支配されているのである。一方的に支配されているのも納得がいかないので、ここは一つ、いい加減な特性を利用し、騙してやろうという話になる。

外的刺激というのは、脳の外側なので、当然自分の声も、お腹が痛いのも、脳にとっては外からの刺激である。この、脳の外側かつ自分の内側からのインプットを自分の都合のいいようにコントロールすることで、テンションを操るのである。

どんなことができるかわからないが、次は実験してみたいと思ふ。

ハイテンションでいこう

私たちの毎日は他人とのコミュニケーションで成り立っている。他人は自分と同じことはないのだから、嫌が応にもテンション(緊張)が高まる。そう、世の中は好むと好まざるとにかかわらずハイテンションであふれているのだ。

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